2013.05.26
濹東巡検 -1- 向島百花園
どこかで聞いたタイトルだけど…まぁいいや。
4月以来ずっと、北千住から墨田、向島、押上あたりに毎週のように訪れているのですが、
写真の整理がつかず、なかなかアップできないでいます。日にちは前後しても、少しずつ
上げて行こうと思いますので、どうぞゆるゆるとお付き合いください。
さて、今回は向島百花園。この日はちょうど、みどりの日だったため、入園無料でした。^^

文化元(1804)年、佐原鞠塢(きくう)という骨董屋によって開かれた梅園が始まりだそうですが、
明治期に何度も洪水に遭い、梅もすべて枯れてしまったといいます。昭和13年、東京都に寄付
されたあと、今度は東京大空襲ですべて焼けてしまいますが、昭和33年に復旧し、同53年には
国により「名勝及史跡」に指定され、いまに至っています。

永井荷風が関東大震災の少しあと、向島百花園に訪れた話を書いています。荒れ果てた園内の
ようすがとっても痛々しいのですが、それがここまで復旧したというのは、すごいことだと
ちょっと感動しました。

Instagramでもアップした写真です。

日本庭園(特に水辺)は、ほんとに落ち着きますね。

桑の茶屋跡から見た池。自分も江戸時代にいるようです。

でも、ちょっと目を上げると、そこには…
4月以来ずっと、北千住から墨田、向島、押上あたりに毎週のように訪れているのですが、
写真の整理がつかず、なかなかアップできないでいます。日にちは前後しても、少しずつ
上げて行こうと思いますので、どうぞゆるゆるとお付き合いください。
さて、今回は向島百花園。この日はちょうど、みどりの日だったため、入園無料でした。^^

文化元(1804)年、佐原鞠塢(きくう)という骨董屋によって開かれた梅園が始まりだそうですが、
明治期に何度も洪水に遭い、梅もすべて枯れてしまったといいます。昭和13年、東京都に寄付
されたあと、今度は東京大空襲ですべて焼けてしまいますが、昭和33年に復旧し、同53年には
国により「名勝及史跡」に指定され、いまに至っています。

永井荷風が関東大震災の少しあと、向島百花園に訪れた話を書いています。荒れ果てた園内の
ようすがとっても痛々しいのですが、それがここまで復旧したというのは、すごいことだと
ちょっと感動しました。

Instagramでもアップした写真です。

日本庭園(特に水辺)は、ほんとに落ち着きますね。

桑の茶屋跡から見た池。自分も江戸時代にいるようです。

でも、ちょっと目を上げると、そこには…
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2013.05.26
北千住から荒川を越えて(5/12) #6 おまけ
2013.05.26
北千住から荒川を越えて(5/12) #5
大聖寺(だいしょうじ、通称・関原不動)。創建は1400年代ですが、現在の本堂は
嘉永元年(1848)のものだそうです。(奥に見えている建物ね。もう閉まっていたのだ)

門の前で写真を撮っていたら、犬の散歩で通りがかったおじさんが、後ろの道を指さして、
「あの道は鎌倉街道だ、って言った人がいてね。…鎌倉ぁ!?そんなはずは(ない)って
思うんだけど、調べてないし、ホントかどうか分からないんだけど、まぁそう言ってる人が
いるんだよね」と、教えてくれまして、どうせ行くあてのない旅だったので、じゃあせっかく
だからとたどってみることにしました。
と言いつつ、こんな道路予定地にうつつを抜かす私たち。北新宿がかつてこんな空き地と
立て札だらけだったよなぁ、なんてことを思い出していました。

さて、関原不動から西南に下っていくと、漫画チックな狛犬を紹介した大六天胡録神社に
行きあたります。→ 北千住から荒川を越えて #1

神社をあとにしてさらに下ると、やがて川にぶつかります。

嘉永元年(1848)のものだそうです。(奥に見えている建物ね。もう閉まっていたのだ)

門の前で写真を撮っていたら、犬の散歩で通りがかったおじさんが、後ろの道を指さして、
「あの道は鎌倉街道だ、って言った人がいてね。…鎌倉ぁ!?そんなはずは(ない)って
思うんだけど、調べてないし、ホントかどうか分からないんだけど、まぁそう言ってる人が
いるんだよね」と、教えてくれまして、どうせ行くあてのない旅だったので、じゃあせっかく
だからとたどってみることにしました。
と言いつつ、こんな道路予定地にうつつを抜かす私たち。北新宿がかつてこんな空き地と
立て札だらけだったよなぁ、なんてことを思い出していました。

さて、関原不動から西南に下っていくと、漫画チックな狛犬を紹介した大六天胡録神社に
行きあたります。→ 北千住から荒川を越えて #1

神社をあとにしてさらに下ると、やがて川にぶつかります。

2013.05.22
北千住から荒川を越えて(5/12) #4
ここは佐竹屋敷堀というらしいです。佐竹商店街の佐竹さんね。
…って調べてたら、なんと、龍角散も佐竹家と関係があったんだー。
驚きました。。。

佐竹稲荷神社。社殿は寛政九(1797)年の建立だそうです。
お狐さまの写真は「北千住から荒川を越えて #1」に載せました。

江戸時代、このあたりの約5200坪(←まったく見当がつかない)は、
秋田藩主 佐竹家の所有だったとのことで、この一帯は現在、
「佐竹抱(かかえ)屋敷跡」として、足立区の史跡となっています。

とりあえず、ぐるっと1周してみました。

なかなか味のある一画です。

…って調べてたら、なんと、龍角散も佐竹家と関係があったんだー。
驚きました。。。

佐竹稲荷神社。社殿は寛政九(1797)年の建立だそうです。
お狐さまの写真は「北千住から荒川を越えて #1」に載せました。

江戸時代、このあたりの約5200坪(←まったく見当がつかない)は、
秋田藩主 佐竹家の所有だったとのことで、この一帯は現在、
「佐竹抱(かかえ)屋敷跡」として、足立区の史跡となっています。

とりあえず、ぐるっと1周してみました。

なかなか味のある一画です。
