2013.03.28
廃線跡ツアー 第4弾は軍用線跡 #おまけ
赤羽自然観察公園の中にある、北区ふるさと農家体験館。→北区のサイト

区の有形文化財に指定されている旧松澤家住宅。今回初めて中に入りました。


中央工学校の生徒さんが作ったという模型。よくできています。

元自衛隊の駐屯地だったところを、よくここまで回復させたなぁと、ほんと感心します。→北区のサイト

区の有形文化財に指定されている旧松澤家住宅。今回初めて中に入りました。


中央工学校の生徒さんが作ったという模型。よくできています。

元自衛隊の駐屯地だったところを、よくここまで回復させたなぁと、ほんと感心します。→北区のサイト
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2013.03.28
廃線跡ツアー 第4弾は軍用線跡 #3
板橋駅前で近藤勇像を確認して散会となったあと、例によって
私たち2人はさらに旧中山道をそのまま下ります。
(京都が上なので、下る=日本橋方面へ向かうということね)
…と、亀の子束子西尾商店。亀の子たわしの本家本元らしい。

そして、ついいつも撮ってしまうパチンコ屋さん。

種子問屋榎本留吉商店(現:東京種苗株式会社)。

お隣すっかり建て替わっていますが、建て替わる前の写真はこちらの記事へどうぞ。
→ 2012.05.10 中板橋~巣鴨 -その3-
上のリンク記事には、下の紙屋さんがまだ現役の頃の写真も載っています。

いつもは通りすぎてしまう巣鴨の庚申塚(写真左手・猿田彦大神)に寄ってみました。

私たち2人はさらに旧中山道をそのまま下ります。
(京都が上なので、下る=日本橋方面へ向かうということね)
…と、亀の子束子西尾商店。亀の子たわしの本家本元らしい。

そして、ついいつも撮ってしまうパチンコ屋さん。

種子問屋榎本留吉商店(現:東京種苗株式会社)。

お隣すっかり建て替わっていますが、建て替わる前の写真はこちらの記事へどうぞ。
→ 2012.05.10 中板橋~巣鴨 -その3-
上のリンク記事には、下の紙屋さんがまだ現役の頃の写真も載っています。

いつもは通りすぎてしまう巣鴨の庚申塚(写真左手・猿田彦大神)に寄ってみました。

2013.03.27
お花見ウィーク2013♪2
2013.03.23
お花見ウィーク2013♪1
廃線跡ツアーの記事はまだ残っているけど、ちょっと中休みします。
今年はお花見できそうもないな~、とがっかりしつつも、
腰の治療に向かう道すがら、しっかりお花見です。西用賀通り。

個人のお宅なのに、すてきにライトアップしてくれています。

団地の一画。こちらはひっそりと咲いていました。

今年の桜はずいぶん早いうちに咲いてしまいましたので、あと何回見られるでしょうか。

今年はお花見できそうもないな~、とがっかりしつつも、
腰の治療に向かう道すがら、しっかりお花見です。西用賀通り。

個人のお宅なのに、すてきにライトアップしてくれています。

団地の一画。こちらはひっそりと咲いていました。

今年の桜はずいぶん早いうちに咲いてしまいましたので、あと何回見られるでしょうか。

2013.03.22
廃線跡ツアー 第4弾は軍用線跡 #2
縁切榎(えんきりえのき)。→ 全体像については、こちら をどうぞ。
「縁切り」というのは「悪縁を断つ」ことを指すわけで、そもそもは病とか悪癖を断つというのが
本筋という気がするのですが、ここに限らず縁切り神社の絵馬に書かれた“願い”を見ると
人間関係のドロドロばかりが目立ちます。

女性から離婚を言い出すことができなかった時代に、ここの榎の樹皮を削って持ち帰り、
そっと煎じて飲ませると、相手から離婚話が持ち出されるという信仰があったのだそうです。
当時は切実だったでしょうね。現在ではご覧のとおり、幹が削れないように竹で覆ってあります。
…が、それでも、その上に削られたあとが見えますね…おそろしや~。
そのまま旧中山道を南下してきて、途中ちょっと外れて川のたもとの氷川神社へ。
特に説明はありませんが、この神社にはすごいりっぱな富士塚があるのです。→ 去年の記事

さきほど奈良から駆け付けた人が、ここでまた仕事へと戻って行きました。お疲れさま~。。。
こちらは文殊院の閻魔さま。

文殊院は投げ込み寺で、この奥には「遊女の墓」もあるのですが、足元には四国八十八ヶ所の
霊場が…。ここでちょっくら霊場について調べてみたところ、「豊島八十八ヶ所霊場」というのが
あるらしく、この文殊院は18番、寄ってきた宝幢院が45番、このあとに行った巣鴨の真性寺は
33番だそうです。

ガイドブックなどではたぶんお馴染みの遍照寺。現在は真言宗智山派のお寺となっていますが、
江戸時代は区内唯一の天台宗だったそうです。また、ここは板橋宿の馬つなぎ場であったため、
馬頭観音像があります。

お米やさん。この両端のレンガ塀が、うしろに延々つづいています。

「縁切り」というのは「悪縁を断つ」ことを指すわけで、そもそもは病とか悪癖を断つというのが
本筋という気がするのですが、ここに限らず縁切り神社の絵馬に書かれた“願い”を見ると
人間関係のドロドロばかりが目立ちます。

女性から離婚を言い出すことができなかった時代に、ここの榎の樹皮を削って持ち帰り、
そっと煎じて飲ませると、相手から離婚話が持ち出されるという信仰があったのだそうです。
当時は切実だったでしょうね。現在ではご覧のとおり、幹が削れないように竹で覆ってあります。
…が、それでも、その上に削られたあとが見えますね…おそろしや~。
そのまま旧中山道を南下してきて、途中ちょっと外れて川のたもとの氷川神社へ。
特に説明はありませんが、この神社にはすごいりっぱな富士塚があるのです。→ 去年の記事

さきほど奈良から駆け付けた人が、ここでまた仕事へと戻って行きました。お疲れさま~。。。
こちらは文殊院の閻魔さま。

文殊院は投げ込み寺で、この奥には「遊女の墓」もあるのですが、足元には四国八十八ヶ所の
霊場が…。ここでちょっくら霊場について調べてみたところ、「豊島八十八ヶ所霊場」というのが
あるらしく、この文殊院は18番、寄ってきた宝幢院が45番、このあとに行った巣鴨の真性寺は
33番だそうです。

ガイドブックなどではたぶんお馴染みの遍照寺。現在は真言宗智山派のお寺となっていますが、
江戸時代は区内唯一の天台宗だったそうです。また、ここは板橋宿の馬つなぎ場であったため、
馬頭観音像があります。

お米やさん。この両端のレンガ塀が、うしろに延々つづいています。
